ちょっと前に考えた結果こうなった、というのをメモしていたので掲載。
雑文・長文注意。 

 20153月現在、PC部門においては約9割がWindows,残りの大半がMac OS X,わずかにLinuxというシェアになっている(http://news.mynavi.jp/news/2015/04/06/289/)。モバイル部門においては約8割がAndroid1割強がiOS、残りがその他もろもろである。どちらにしても一つがずば抜けて高く、もう一つがその残りを埋める寡占状態である。

 ユーザーにとって何が重要か。それは、使いたいアプリケーションが存在しそれが動作するかどうかというだけである。例えばMicrosoft Officeが動作しないOSはビジネス的に圧倒的に不利になるし、プリンタのドライバが動作しなければプリンタとPCがあっても印刷できない。使いたいものが無ければPCが無いのと何も変わらないのと同然だ。

 この観点から見ると、互換性が高いOSが圧倒的に有利である。Windows 8.1などでは32bitバージョンに限るが、未だにMS-DOS向けのゲームが動作することが多い。そういう部分でユーザーの不安は著しく低くなる。

 次に開発者の観点。開発がしやすければしやすいほど良いことは無いが、それよりも重要なのはユーザーが使ってくれるかどうか。せっかく開発をしてもそれを使う人が居なければ全く意味がなく、また作る意欲も低下するであろう。例えば、国内に現行機種がないWindows Phone 8.1向けに日本語アプリを開発しても、使える機種がないのであれば日本人が使うことは考えにくい。そのため最初から開発者は人気のあるAndroidiOS等のOSのみに絞って開発することが多い。

 この2つの観点から、最初の頃はOSのユーザーの増加を願う開発者達によってアプリの開発がなされる時期があるが、それが過ぎるとそのOSを利用するユーザーが多いからアプリを作る、アプリが豊富で柔軟だからユーザーが増える、そしてまたアプリが増える、という好循環が発生する。逆に、使う人が居ないOSでは、使う人が居ないからアプリを作らない、一向にアプリが増えないから誰も使わない、余計にアプリを作る意欲が削がれ、増えないから忘れ去られるという悪循環に陥る。

 OSそのものの使いやすさも重要ではあるのだが、こうした開発アプリの数とユーザーの数のバランスの関係から寡占化が起きてしまうのではないのだろうか、と思う。PCの歴史を凝縮して繰り返しているのが今のスマホ・タブレットOSであると考えている。